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Noriko's Blog

Kristinの言葉を訳しました。そして、theatreとは….

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我が師、Kristin Linklater氏が、「linklater Voice Center」の、Facebookタイムラインに先日長い文章を載せていました。
彼女は、11月13日パリで起きたテロ事件の2日後に行われた討論会に出席したようで、これはそこから帰国した直後に書かれたものです。
巨大な暴力の直後、無力感に打ちひしがれた思いと、それでいて
偉大なる詩人の詩を引用し、我々に問いかけている文章です。
世界が大きく変動しつつある今、私も思うこと、感じていることをどう表わしていいのか自問自答している過程の中、ここにある、「theatre」という言葉に大きく動かされました。
 
「theatre 」直訳すると「劇場」です。すぐに浮かぶイメージは、赤い緞帳、客席、照明、衣装
そして、舞台に立つアクターたち、台詞、動き、観客…….
もう少し大きく捉えたいと思い調べると、「theatre 」の語源は哲学用語で「テオリア」。そうなると、「観想」を持って見る、観ることによって深く考える場….というふうに考えられます。
クリスティンに最初に彼女から教えを受ける初日に、我々が言われた言葉は、
「はっきり言うけど、私はあなた達には興味はないのよ。私が興味があるのは、theatre だけ。theatre の可能性だけよ。」
「この2年間に渡る講師資格取得のあなたの目的が、自分のためだけだとしたら、はっきり言うけど落ちます。まず自分の足元から波紋のように広げなさい、自分の周りの小さなコミュニティへ、そしてそこからもう少し大きなコミュニティへ、そして大きなソサエティまで…そこに貢献する覚悟が無いなら、あなたは決して合格することは無いでしょう。」
この文章だけ読むと、彼女の教えを乞うために、あるものははるばる海を渡り、あるものは20年近い年月を費やして、ついにここまででたどりついた輩達を前に、いきなりそれは無いだろうと思うかもしれませんが、彼女の厳しく突き放し、それでいて大きな指針として私は居ると、威厳を持って宣言をしてくれたクリスティンを今も覚えています。
「theatre」
ある意味、最高条件の宝塚歌劇団で10年舞台に立たせてもらった私は幸せ者です。そこにはいわゆる劇場が完全にありました。
卒業して、20数年経つ今は、発表の場が、小学校の体育館であったり、お寺、古民家や画廊、スタジオラボです。幕は無いし、高低のある客席も無い、時折、彼女の言う「theare 」に貢献しているだろうかと帰り道に月に問いかけることがありました。でも、クリスティンの言う「theatre」が、「テオリア」「観ることによって深く考える場」だとしたら、ぶれてはいないと自分を奮い立たせたいのです。
クリスティンの言葉を訳しました。
偉大なる師が苦悶して自己に問いています。
しっかりと渡したかったので、時間がかかりましたが、もしよろしければ、「theatre」「voice」の意味を一緒に考えるきっかけになれば幸いです。
I have just returned from a Voice Colloquium in Paris which took place 2 days after the attacks in St. Denis – this area was also where the Colloquium took place. The event was titled La Pratique de la Voix sur la Scene. As you can imagine it was not easy to find the right things to say as the first speaker (and featured guest) on that Monday. However – I thought that the words that came to me might be worth repeating here:”Anything I say will be inadequate to the situation within which we have come together – and yet I must say something. On an immediate level our endeavor seems futile to me. How often have I said ‘Voice is communication; communication makes community; good communities with good communication and free voices build civilizations.’ And now voices are spewing hate as if hate and death were the purpose of existence. Cicely Berry – England’s most revered voice teacher – repeats over and over the quote from Thomas Middleton: ‘Violence prevails where words prevail not.’ It seems clear that words, of what we consider reason, have not prevailed. Why not? Might it be because they have not been spoken – in the higher realms of political interchange – in voices that have the ring of truth? A London journalist recently wrote: ‘Politicians are constitutionally programmed to fabricate authenticity.’ Which brings me to lines from W.B. Yeats’ poem written after WWI still ringing horribly true in the echo-chamber of today:
Things fall apart; the centre cannot hold.
Mere anarchy is loosed upon the world.
The blood-dimmed tide is loosed, and everywhere
The ceremony of innocence is drowned.
The best lack all conviction, while the worst
Are full of a passionate intensity.If there is anything we can contribute in the most indirect way on the side of life versus death, love versus hate, creation versus destruction then we must concentrate on how our voices can speak the deepest truths…each our own individual truth. And because theatre is our Art we must continue to ask: ‘How can we insist that our theatre holds the mirror up ever more courageously to reflect our times.’
No man is an island
Entire of itself.
Each is a piece of the continent,
A part of the main.
Each man’s death diminishes me
For I am involved in mankind.
Therefore, send not to know
For whom the bell tolls,
It tolls for thee. John DonneThis is not a moral reminder but a record of experience: we feel the loss of lives of people we don’t know. What are we meant to do with that feeling?

 

訳:

私は今さっき、St. Denisでのテロの二日後にパリで行われたPratique de la Voix sur la Scene. という討論会から帰ったところです。

St.Denisはまさにその討論会が行われた場所でした。

当然、賓客であり最初のスピーチをする立場であった自分は、今ここで何を話せばいいか考え、苦悶しました。だけれどもその時私の頭に浮かんだ言葉はここで復唱する価値があるのではないかと思うので、以下に記します。

「私がどんな言葉を口にしようと、ここに集まっている私達をとりまく状況に相応しいものとはならないでしょう。しかし私は何かしら言わねばなりません。即座なレベルにおいては、私達の努力は役に立たないものに思えます。

私は今まで何回『ヴォイスはコミュニケーションだ。コミュニケーションは共同社会を作る。良いコミュニケーションを伴う良い共同社会や自由なヴォイスは文明を作る。』と口にしてきたことでしょう。今現在いつくものヴォイスがまるで憎悪や死が存在意義であるかのように憎しみを吐き出しています。

 イギリスで最も尊敬されているヴォイス教師であるCicely BerryはThomas Middletonの引用を何度も何度も繰り返しています。

『暴力が勝つのは言葉が勝てない場所においてである。』

我々が道理と考える言葉は明白に負けてしまったように思えます。そう感じない理由などあるのでしょうか?彼らが高次元の政治的やりとりを真実の響きを伴って話していないからでしょうか?ロンドンの一人のジャーナリストが以下のように書きました。 『政治家は正当性をでっち上げるために本質上プログラムされている。』

これらの言葉を踏まえた上で今も力強く響く第一次世界大戦後に書かれたW.B. Yeatsの詩を引用します。

『形あるものはいつか壊れる。核というのは脆いものだ。

純然たる混沌が世界に解き放たれる。

血に染まった潮が引き、世界中で無垢の祭りは溺れさせられる。

全ての信念を失い、皆が皆激しい緊張に満ちる。」by W.B.Yeats

この生と死、そして創造VS破壊の戦いに何か遠回しな貢献をするならば、我々は最も深淵にある個人それぞれの真実に声を向けねばならないでしょう。

そしてtheatreこそが我々の芸術であるため、我々はこう問わねばならないのです。

『我々はtheatreが、時勢をこれまで以上に勇敢に反映させる鏡を持ち上げることをどのように求めていくのだろう』

「どのような人も独りでは完全な島とはなり得ない。

全てが大陸の一部であり、主体のほんと一部なのだ。

私は人類と同一であるが故、あらゆる人の死が私の一部を削り取る。

だから誰が鐘を鳴らしているか探そうとするな。

それはそなたのために鳴るのだ。」by John Donne

これはモラルを思い出させる詩ではなく、体験の記録なのです。

私達は見知らぬ人々の死を感じます。

そんな感情を受け止めて、我々は何を行っていくのだろうか?

                           translated by noriko tosaka & toshiharu tosaka

 

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