8 15
今日は終戦記念日。
いつもとまた違う感慨がある。
昭和を生きた父に私はありがとうを言っていない。
父は私が25才の時に逝ってしまった。
私は東京宝塚劇場の舞台だった。
父の名前は昌夫。昭和5年生まれ。典型的な企業戦士。土日もなく働いて、それでいてとても幸せそうだった。
もっといろんな話をきいておけば良かったな。
そんな思いは親の立場になってみるとよけいに募ってしまう。
知りたかった。たった一日で今まで信じていたものがどんでん返しをくらうこと、それをどう理解していったのか?
父の8月15日のことを聞きたかった。
だから、今回、劇中で玉音放送を聞いた当時の少年その人を聞きたくて、その人に語って頂いた。
僕なんかでいいの?と何度もおっしゃるのを「ぜひ」と
お願いして、その中村さんは語って下さった。
当時の少年の語る言葉は飾り気もなく、なんの気負いもなく、淡々と真実を語って下さった。
ご自身が玉音放送を聞いた時のことを。
この方が生きてきてくださって、そこにいるだけで十分の声だった。
舞台袖で私は聞いていて、同じ舞台上でその学童疎開児童を演じている子ども達も一緒に聞く事が出来て、
言霊を頂いた思い。
当時、意地っ張りで、ありがとうをちゃんと父に言っていない私がやってみたかったことだった。
…… …….
1995年、7月。私はNYに引っ越した。
8月15日は、ここでは5番街で戦勝記念パレードの日だとわかって驚いた。
2007年、友人を訪ねたメイン州の美しい公園で、子どもを遊ばせていて、一人の女性が男の子の赤チャンを抱いて
私に近づいた。「あなた、日本人?」
東洋人のほとんどいない街だった。
「ええ」
「私、あなたの国がうらやましいわ。だって戦争をしないんでしょ?」
一気にその母の腕にいる男の赤ちゃんの意味が変わった。
