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Noriko's Blog

3月22日までの歩み その8

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「一日を愛し、一年を憂い、千年に思いを馳せる」

桃井和馬さんが次世代に伝える言葉として著書にかかれていた、ご本人の承諾を得て、これを全体のテーマに決めました。一日と、一年と、千年の3つの時間軸が融合するような話。最後は融合して悠久の流れ。

世田谷パブリックシアターの助言、「抽象的な表現のほうが大きなメッセージを伝えられる」ということも頭のどこかにありました。

千年は抽象的な表現でいこう。

そして、一年は、一年は……伯父のエッセーのラストに繋がるような子供たちの一年…..

 

学童疎開だ!

 

そうだ、息子のトシ達6年生が作った劇は「学童疎開」」だったじゃないか!

丁度その年は、2009年 戦後65年ということで、東京新聞に毎週日曜日に「焦土からの出発」が連載されていました。編集委員の田中哲男さんが、当時の様子を取材して、記事にしていらして、毎回毎回、力強い内容でした。

その最終回は、「秋保温泉 疎開物語 正座してわびた恩師たち」

私が合致したのは、この記事です。IMG_4027

しかも、願ってもない、田中さんは記事の中で学童疎開を体験した方達を

探し当てて、取材しています。この人たちに会って話を聞かなくちゃいけない!

東京新聞社につてなどありませんから、直接電話していきなり突入、田中哲男さんに会いに行きました。

田中さん、ありがたいことに、ご自身が取材した方たちを呼んで下さり、

私はその数日後に学童疎開体験者の皆さんに会って取材することが出来ました。

私が知りたかったのは、当時の子供たちがどんな事を感じて、どんな事を体験したのか。

8月15日のその日、何を感じて、何を思ったのか。

みなさんからの答えは、じつに素朴で単純な事でした。

戦争が終わったから、悲しかったかというと、そうではない。よくわからなかったのが本当です。それよりも、女の子は、「スカート履きたい!」って思ったり。

 

テーマの中の「一年」がなんとなく形が見えて来ました。では、「一日」は、キャストとは別の、一般の人が

劇中淡々と、「一日の幸せ」を語ってもらうのはどうだろう。

ひとりは母親、ひとりは子供、そして三人目は、この取材で

出会った、学童疎開体験者の中村雅俊さんに、8月15日の一日を語ってもらう。

雅俊さんは、偶然にも、私が小中高を過ごした湘南の藤沢の方でした。取材のために、故郷藤沢に行けるのも、私の楽しみ。

まるで亡くなった父母が引き寄せるようです。IMG_3736

 

因みに、中村雅俊さんは今回の3月22日の朗読劇にも出演してくださいます。先日、5年ぶりに藤沢でお会いしました。お元気でいらして、出演を快諾して下さいました。

さて、パズルはどんどん埋まってゆきます。

では、「千年」のテーマはどうするか、どういう話を織り込んでゆくか。

 

丁度、桃井さんからのお知らせで、写真家の方たちのプロジェクト

「Eye Witness」という企画があるというので、行ってみることにしました。

当時、何人かの写真家の方たちが集まって、その写真とトークで、

この地球に何が起こっているのかを、お話されるというのです。

そこで、アザラシの赤ちゃんを撮っていらっしゃる動物写真家の小原玲さんが話されて、流氷が溶けて、赤ちゃんが育たない実情を離されました。

地球の気候が変わってしまい、氷が無いのです。千年後の地球には流氷もアザラシもいないのではないでしょうか…..

 

千年の時間軸で写真家とアザラシの生み育てる母が対話しつつ……

 

イメージが浮かんだら、いてもたってもいられません。

小原さんに聞きました。

「すみません、小原さんがアザラシの赤ちゃんを撮っていらっしゃるところを取材したいのですが」

みなさん、冗談と思うかもしれませんが、普段は節約して家族旅行で温泉すら行かない私が、劇を作る取材だからと、流氷のある、カナダのマドレーヌ島まで往く決心をします。

が、

その年は、いい流氷が出来てなくて、ツアーはキャンセル。

飛行機チケットまで取ったのに、がっかり。

ところが、小原さんが電話でこうおっしゃいます。

「登坂さん、まだ可能性はあります。知床の流氷があるかもしれません。」

 

息子たちに私は小さい頃から、キャッチボールとか、キャンプとか、父親なら得意だろうという類の事はやってあげたことがありません。

アウトドアは無縁。男の子にとって、冒険とか大自然との体験とか、させてあげたいと思いながらも、私にそういった興味がないから、

無縁でした。知床の流氷!これは絶好の機会。としは何かの用事で行けなかったので、たかを連れてゆくことにしました。小原さんのアザラシの赤ちゃんの写真の取材には、

アザラシに魅せられた方たちが全国からカメラ持って集まります。私が知りたいのは、アザラシの赤ちゃんを撮る写真家です。目的は違っても、

ちゃっかり私はそのツアーに息子ともども入れてもらうことにしました。

この旅はほんとに私とたかにとって、忘れられない旅になります。

それは……

 

 

 

3月22日まで歩み その7

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中村紀子さん。

お母さん、主婦 世田谷区在住。

たまたま地元中学校体育館でやった「A Thousand Cranes〜禎子と千羽鶴〜」を観てくださっていました。

 

毎年手作り味噌を作っちゃう紀子さん。

じつは、東都生協の当時は理事をされていて、

「平和のつどい」という企画プロデューサーであったということを知ったのは、

知り合ってだいぶ経ってからの事でした。

あとから、聞けば、息子がお世話になっている小学校のPTAヴォランティア

読み聞かせグループの「モーニングスープ」の発起人。

紀子さんが私の活動を見つけて下さったのも、

「二子玉川生活」というblogで、地域情報を発信している主婦の方の情報。

舞台活動からかけ離れて子育てしていた私に、結果舞台に作品を

乗せるチャンスを下さったのは、この二子玉近隣を愛している地域の

お母さんパワーでありました。

東都生協から予算と劇場を提供される企画の初ミーティングは

地域の図書館の上の和室だったと思います。

 

ところが、この企画は企画会議で、却下。

流れてしまいました。

しかし、紀子さん、粘り強い!

もう一年たって、実現されます。

私にとってははじめての、予算がついた劇となります。

「A Thousand Cranes 〜禎子と千羽鶴〜」の台本を持って

嬉々として、紀子さんに会いに行きます。ところが、意外にも紀子さんはこう言います。

「倫子さん、他の作品でもいいですよ」

 

これまで、同じ作品を扱うにあたって、毎回違った形で

上演してはいましたが、毎年やっていると、どこかで、ああまただ、という甘えと

焦りが生じます。

ちょうど、先にも書きましたが、もろもろ壁にぶち当たってあがいていたので、

これは、嬉しい言葉でした。

最初からのオリジナルを書きたい!!

 

東都生協からの条件はこうでした。

*4月から会員の子供たちで劇をやってみたい子を募集する。

*その演劇体験のまったく無い子供たちを4ヶ月トレーニングして、舞台にあげる。

*「平和のつどい」という企画に付随した作品だから、内容は「平和」をテーマにして欲しい。

 

そうなると、登場人物の人数は最終的には募集してみないとわかりません、しかも、

子供たちが主役の話です。子供たちが男の子も女の子も、20人来ても、5人でも対応出来る内容の必要があります。

 

伯父さんのエッセーだ。あのラストシーンはぴったりじゃないか!!

 

ただ、伯父のエッセーは当時の県立金沢第一中学3年生の男の子たちです。

募集する年齢は小学校中学年から中学生まで。年齢を下げなくてはなりません。

この頃、東京新聞ではおもしろい企画が毎週日曜日に載っていました。

こういう時はパズルが1つ1つ音をたてるようにはまり始める時です。

その東京新聞の記事が、私のやりたいことと、完全に合致しました。

それは……

 

 

3月22日までの歩み その6

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「登坂さん、このたびの一世田谷パブリックシアター般公募に、応募ありがとうございました。」

へ〜、こんなふうに応募者全員に電話して結果報告するんだな、企画側も大変だな….などと思いつつ、次の言葉を待ちます。

「残念ながら、今年度の作品は◯◯劇団の◯◯◯◯と決まりました。」

あ〜、まあそうだろうな。

でも、内心ちょっぴりがっかりしつつ、

「そうですか、どうもありがとうございました。」

受話器を置こうとすると、

「待って下さい。じつは、登坂さんの「A Thousand Cranes 〜禎子と千羽鶴〜」は最後の2作品まで残りまして…」

「!……. 」

「特に最初の戦争の足音のなど、力強い表現があり、高く評価されました。選考委員の中には強くこの作品を押す人も何人かいて、最後の最後まで揉めました。」

 

落選への落胆よりも、私にとっては、この「高く評価された」という言葉だけがこだまして、

そうなんだ、自分が書いたものが、高く評価されたのだ。

当時は、息子二人連れて、まったく先の見えない時だったので、嬉しくない訳ありません。むしろ救いの言葉でありました。

涙声になってしまって、何度も何度もお礼を言って、

担当の方が電話を切ろうとした時、

「あ、ちょっと待って下さい。1つ聞かせて下さい。その劇団の作品と、私の作品の、採用不採用の最後の一点は何だったのでしょうか?」

 

答えは、「一点、公的な場所で、ヒロシマという言葉が直接的過ぎるということです。もっとなにか比喩や暗喩を持って

抽象的に表現されていれば……」

 

電話を切ったあとも、私は単純に喜んでいました。ポカンとしているとしとたかの前で、泣きながら、「やった〜!!やった〜!!」ダンスを踊ってしまっています。

そして、ふと思うのでした。

 

なぜ、ヒロシマだとイケナイのかしら?

 

ここで、私が言いたいのは、公的な場所への避難ではありません。たしかに、様々な作品が

そういった見事な比喩的な表現を成功させて、メッセージを送り出しています。

ただ、私の疑問は、このように移行します。

 

でも、直接的な、わかりやすい表現でもいいのではないかな?

 

その後、私は世田谷区の中学校や、区民センター、江戸川区の平和団体など、

オファーがあれば、どこでも飛んでいって、上演し続けました。

が、問題は……

 

予算が無い。

 

上演の機会があればあるほど、良いものをつくりたい欲求が高まるのと、予算が無いという現実。

この頃は、ひとり親として区からも助成してもらっていましたし、

それでも、上演の依頼をもらえば、持ち出しでもなんでもこっちを優先してしまう己。

 

そんな時に、初めてのスポンサーの可能性が出てきました!

そのプロデューサーは、意外なところにいたのです!

 

それは…..

 

 

 

 

3月22日までの歩み その5

CIMG2730それは……

と、引っ張っていて、すみません!この叔父のエッセーのラストシーンこそが

こんど朗読劇に脚色して上演する「unseen 〜あんしぃ〜ん〜」

の引き金になりましたので、ここで書いちゃうとネタバレになりますんで、

またいつかちゃんと書きますが、

少年達の8月15日は、読めば読むほど、生きた絵として浮かび上がってきます。声が聞こえるようなのです。

 

戦争や平和の劇を上演していると、観る側の、こうであって欲しいという要求に苦しくなることがあります。ですが、真実は意外にもあっけらかんとしていたり、楽しい時間があったり、残酷であったり….

これ、いつか物語にしてみたいな……そんな考えがふと浮かびました。

 

この頃、私はアメリカからずっと上演している劇がありました。

それは「A Thousand Cranes 」という題名で、アメリカ人の劇作家が書いたヒロシマの折鶴の少女のお話です。

とはいっても、この頃は帰国したばかりで、生活もままならない頃で、舞台を打つというよりは、

教会や小学校の体育館でやらせてもらっている、それが精一杯でした。

ある日、あるママ友が、「登坂さ〜〜〜〜ん!!!」って、はあはあ言って一枚の紙を持って来ます。

「これ、これ、ねえ、登坂さんがやっている劇、応募してみたら?」

それは、世田谷パブリックシアターの一般公募の募集でした。これに選ばれたら、

憧れのシアタートラムという劇場で、上演されます。しかも、劇場を借りる金額の心配も無いし、

告知は世田谷区でやってくれる!夢のようです!

しかし、問題は「A Thousand Cranes」は、作者はキャサリン・S・ミラーさん。私のオリジナルではありません。

それに、子供劇として書かれていますから、上演時間が30分強。作品として応募するなら、せめて1時間は欲しい。

しかも、締め切りは明日。

子供たちにご飯あげて、お風呂入れて、寝かしつけて…..

真夜中に考えます。

まあ….無理だな。

劇場……

それは、素晴らしい神聖な場所です。舞台と客席と、照明と、音楽….

人間の動きと声によってその空間は魔法のようになります。

宝塚にいたころは当たり前のように劇場に立たせてもらっていた自分。

退団してみて、そのありがたさを痛感するわけです。

 

やれやれ…..でも、一冊の写真集に手が伸びます。

森住卓さんの写真集。チェルノブイリで生まれた赤ちゃんの写真。

赤ちゃんと言っていいのか…..

産んだ母親はその赤ちゃんを見て、叫び声を上げて逃げてしまったと解説にあります。

「誰がこのような姿で生まれたいだろう…….」

 

数分後、PCを開き、キーを打ち始めます。書いてみよう。30分の原作に、そこに行きつくまでの

この目で見て体験した、真実の話をそのまま演劇の手法を用いて、付け足したらどうだろう。そうだ、アメリカで体験したそのものを

語る女性がいて、そのまま、作品を演じるという形に脚色してみよう。淡々と語ってゆくのだ。シンプルに。

明け方に出来た原稿を、ママ友が握りしめて持ってきてくれた

応募用紙と一緒に三軒茶屋の世田谷パブリックシアターに持って行きました。

締め切りギリギリ!

やるだけの事はやったんだから、これでいいや。

 

そして、一ヶ月後、世田谷パブリックシアターの担当の方から電話がかかってきました。

それは…….

 

 

3月22日までの歩み その4

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私の叔父さん…..

昭和5年生まれ。

いつも温厚で、背が高く、にこにこ。

私が小さい頃の母と叔父さんの待ち合わせは、

東京駅の大丸デパートの前のたしか太い柱の何番目。

その日は必ず私も何か買ってもらえるから、すごく楽しみでした。

職業軍人の父親を持った兄と妹は、戦中と戦後では生活は一転して、

苦労しただけに、私から見ても仲の良い兄妹で、母が56歳で逝ってしまった時は、

「幸子、幸子」って、額を母にくっつけて号泣してしまった叔父でした。

 

晩年の叔父にはなかなか会う機会が無かったのですが、

その時受話器の向こうの叔父は、あのおっとりした声で、「のんちゃん、のんちゃんはアメリカでも

帰国してからも、劇をやっているんでしょ?叔父さん、エッセー書いたから

その原稿を送るね」というものでした。

 

「8月15日の記憶」

 

昭和20年、叔父は15歳。

学生は勤労奉仕として、勉強ではなく、金沢のお寺に泊まりこんで、

機械を使っての重労働。その日々を、しっかりとしたエッセーに仕上げていたのでした。

私を驚かせたのは、あの温厚な叔父が書いたとは思えない、怒りに溢れたその文章。

と、同時に、得意の絵を用いて生き生きと描かれてたものは、当時の15歳の青年が見たもの、

感じたこと、楽しみにしていたこと、そのものでした。

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そして、日本中の価値観が一転した、8月15日のところでは、

エッセーのラストは、見事に私の予想を裏切りました。

それは….

 

 

3月22日までの歩み その3

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山のような写真集は桃井和馬さんという方の本でした。

取材地は、紛争地からアマゾン、アフリカ、ロシア、南米、etc.etc….

この人のパスポートの出国入国スタンプはあっという間に一杯になっちゃうんだろうな〜

などと、思いつつ著作を読ませて頂きました。

そして、その方の講演会が近くの教会であるというので、私は、のこのこ出向いて行ったわけです。

 

実際にその眼で真実を見た人の話を聞きたい。

 

その日は、穏やかな日で、東急大井町沿線の駅からすぐの小さな教会で、

アットホームな講演会だったのですが、最後に質問させてもらうことがあったので、

つい、私は聞いてしまいました。

「あの、桃井さんは、その眼で世界中の戦争や悲劇や不条理を見ていらしたけど、

平和というものはあるのでしょうか?」

今思えば無茶ぶりな質問です。でも、桃井さんの答えはきっぱり、

「平和なんて、無いです。ただ、平和を希求しない奴はダメだ。

このように、机を挟んで、この距離で、こうやって語り合う、ここにそれがあるんですよ。」

 

あっさり「無い」と言われ、むしろ何か軽くなったような、

そうか、この距離でいいのだ、向かい合った人と

語り合う、ここにそれがあるのだ。

当時の私には、かなり救いの言葉でした。

そして、その著書の中の一冊にあった、子供たちへ書かれた本には、

 

「一日を愛し、一年を憂い、千年に思いを馳せる」

 

というメッセージがありました。

平和の子供劇を作っていて、自分の息子をほったらかしにしてしまったり、

人間関係でまったく平和どころか、和解すら出来てなかったり、

ついつい、自分自分自分になってしまっている矮小さ。

こんなふうに、時空軸を持って、生きることが出来ないものかなぁ….

PTAに出かけながら、二子玉川の奥地の菜の花畑をぷらぷら歩きながら思うわけです。

 

そこに、めずらしく私のおじさんから電話がありました。

それは…..

 

 

 

 

 

 

 

3月22日までの歩み その2

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6年生が作った劇は、自分たちで脚本も書いた、「戦争」をテーマにしたものでした。

4組あったので、各クラス選んだ題材は、「原爆」「食料配給」ごめんなさい、忘れちゃった!もうひとつはなんだったかな?

そして「学童疎開」でした。

それは良く出来ていて、ちゃんと当時の事を調べて作ったのが良くわかります。

原爆の落ちた時の表現など、体育館の隅においた和太鼓をドン!と一発叩いて、

真っ暗にして、無音の中ダンボールがバラバラと崩れ、静かに生徒たちが倒れます。

実に怖い。学童疎開の劇をやった組はちゃんと大きな汽車を作って、

お別れのシーンを作りました。

親としても、また演劇に関わっている者としても、ちょっと言葉にならないものを受けて、

ここまでの作品をちゃんと作ったのだから、きっと先生方も、それはちゃんと指導して下さったのだろうと

思い、廊下で担任の先生に駆け寄りました。

「先生、素晴らしかった!どうやってあんなふうに作ったのですか?」

先生はニコニコして、「登坂さん、子供たちは全部自分たちで作ったんですよ〜。私たちはそれを見守ってただけで」

 

自発的に何かをやる……

 

この頃、私は「伝える」という難しさにぶつかっていまして、

特にこういった「平和」ということになると、返って難しい。

「A Thousand Cranes 〜禎子と千羽鶴〜」も、何度も辞めようと思うのですが、

なんだか結局、機会をもらうと一生懸命上演してしまう。しかし、私がそういう事を出来る資格があるのか。

世の中に平和なんてあるのかいな?と自問自答しつつ、結構苦しい時期でした。

 

なので、5年生の時に体育館で自発的に鶴を折った子たちが、自発的に「戦争」の劇を作ったというのは、

ああ、こういうものなのだ。こちらが力まなくても、信じ、見守っていけばいいのだと。

息子の小学生最後の学芸発表会は、まさに、大きな答えをもらったような体験だったのです。

 

私は「伝える」という事に対して、もう少し明確な何かが欲しくて、

この頃から、地球の果ての紛争地域などで写真を撮っている、フリーランスの報道写真家の方の

お話を聞きに行くようになりました。彼らこそ、真実をその目で見て伝えている人です。

そして、

ある時、親切なご婦人が山のような写真集を私に下さりました。

それは….

 

つづく

 

 

3月22日までの歩み その1

 

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すっかり時間があいてしまいました。

久しぶりにアップするblogですが、今回は、お伝えしたいことが沢山あるので、こつこつとやろうと思います。

来る3月22日、私が住んでいる地域のプロジェクト「せたよん」で、

「A Thousand Cranes~禎子と千羽鶴〜」を今年も上演致します。

今回は昨年と違って、前半の部分はカットして、ヒロシマのストーリーの部分のみの上演になります。

後半は、初めての試みなのですが、2010年に東都生協「平和のつどい」で上演した、私のオリジナル作品「unseen 〜あんしぃ〜ん」を学童疎開児童の部分だけ、朗読劇にしてやってみようと思います。

この劇が出来るきっかけや、それからのつくるまでのエピソードを

たぶん、当日はお話ししきれないと思いますので、ここでお伝えしたいと思います。

 

最初のきっかけは、息子のトシが当時通っていた砧南小学校の体育館で

禎子と千羽鶴を上演した時のことです。5年生のときだから、もう9年前になりますね….。

とても演劇が好きなトシの担任の先生の発案でした。その時は、私にヒロシマ弁を指導してくださった、村上啓子さんも来てくださって、ご自身の体験も5年生さん全員にお話してくださりました。

体育館で、終わったあとに、一人、二人と、鶴を折ってきてくれて、結果子供たちが自発的に折った鶴は、いつのまにか千羽になり、それを啓子さんはちゃんと千羽鶴にして、ヒロシマに持って行ってくださいました。

さて、みんなは進級して、6年生になりました。

春が来て、夏が来て、秋の学芸発表会を観に行って、私はびっくりしたのです。

つづく

 

2014年 夏の一日体験ワークショップのお知らせです。

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studio unseenでは8月の土曜日に、一日体験ワークショップを開催します。

*リンクレイターヴォイスワーク

#第一回:816日(土曜日)16:00pm~19:00 pm(3hours)

  テーマ:身体と呼吸への気付き。声を通して自由へ。

#第二回: 823日(土曜日)16:00pm~19:00 pm(3hours)

  テーマ:重力と抗重力の中での、最大限のヴォイス=エネルギーワークへの体験

*ステラ・アドラー演劇一日ワークショップ

830日(土曜日)16:00pm~19:00pm(3hours)

場所:studio unseen

153-0041

東京都目黒区駒場3-5-6 B1F井の頭線駒場東大前駅徒歩5分)

講師:登坂倫子

宝塚歌劇団出身。星組娘役「乙原愛」の芸名で9年の舞台生活の後、1993年渡米。ハリウッドのステラ・アドラー・アカデミー・オブ・アクティングを卒業。現地の舞台で女優、演出家としてデビュー。2005年帰国後は日本初のステラ・アドラー演劇とリンクレイターヴォイスワークの長期クラスをスタート。2010年は初オリジナル作品「unseen~あんしぃん~」を発表。2011年夏よりスタジオunseenをオープン。2012年同スタジオ初llavo公演では、「ダウト」のシスターアロイシスを演じる。

著書:「宝塚」「アート オヴ ヴォイス」現代書館

内容:

リンクレイターヴォイスワーク:現在ニューヨークのコロンビア大学で教鞭をとる、クリスティン・リンクレイター氏によって考案されたヴォイスワークです。リラクゼイション、呼吸の認識にはじまり、心技体を通して人間の真のヴォイスを取り戻してゆきます。また、アクター自身が3~4オクターブのスピーキングレンジ(声域)を持ち、クラスを終了したあとでも自分でヴォイスウオーミングアップ(20分)出来るようにします。今回のワークショップは、2回の構成になっています。一回目はコミュニケイションとしての声のシステムを基本からわかりやすく体験し、呼吸や身体を通し、声を妨げているものを探求します。最後には、テキストワークとして、詩の暗唱をやります。2回目は様々な動きに合わせた声の体験を用いて、声を今まで力んで出していたのだとしたら、そういった概念を一転させるワークを体験します。声はもっと楽に出るものなのです。

受講はどちらか一日でも構いません。2回とも受講されるのも、大歓迎です。声に興味ある方でしたら、どなたでも受講して下さい。

HP内クリスティンリンクレイター解説

http://un-seen.net/lesson/linklater/

クリスティン リンクレイター ウィキペディア(英語)

http://en.wikipedia.org/wiki/Kristin_Linklater

ステラ・アドラー演劇ワークショップ

ステラ・アドラーはアメリカ1930年代にグループシアターで活躍し、その後ニューヨークとロサンゼルスにステラ・アドラーアカデミーオブアクティングを設立。マーロン・ブランド、アル・パチーノなど、優れた俳優を育てました。またスタニスラフスキーから演劇を直接学んだ貴重なアメリカ人でもあります。

今回のワークショップでは彼女のドキュメンタリーDVDを鑑賞し、そのあと、基本エクササイズである、imagination(想像力)place(場所)、action(行動)を追求し、アクターを真の体験に導くワークを行います。参加には、演劇経験は問いません。どなたでも受講して下さい。

HP内ステラ アドラー解説

http://un-seen.net/lesson/stella/

各クラスお申込みhttp://un-seen.net/

メールフォームよりお申込み下さい。

受講料:各クラス6,500円、2クラスご希望の方は12,000円、3クラス受講希望の方は、18,000円の割引料金とさせて頂きます。HPの、メールフォームよりお申込み下さい。その際、携帯電話番号も必須でご記入下さい。ごく稀ですが、PCからのメールが携帯に届かない場合や弾かれてしまうことがありますので、ご協力をお願い致します。

何月何日のどのワークショップを受講されるか、はっきりと明記下さい。

例)830日のステラ・アドラー演劇1クラス受講希望。

例)8月16日、23日のリンクレイターヴォイス 2クラスともに、受講希望。

例)8月16、23日のヴォイス2クラスと、8月30日のステラ・アドラー演劇の3クラスともに、受講希望。

*参加へのメールフォームからのお申込みは随時受け付けております。また、今回、講師の登坂倫子がイギリス、スコットランド、オークニーでの、2014年国際資格習得ワークショップに参加するため、現地でのインターネットの不具合が万が一起きた場合は、皆さんへの返信が7月22日以降になるかもしれないことをご了承下さい。よろしくお願いいたします。

他、興味ある方、質問等、どうぞお気楽にご連絡下さい。

新しい出会いを楽しみにしております。

 noriko

申し訳ありません!お問い合わせ下さった方へお知らせです。

お知らせ

 

1月6日17時に、スタジオあんしぃんのウェブサイトから

お問い合わせを頂きましたお客様へ

 

お問い合わせフォームのシステムの不具合により、

お客様のご連絡先が正しく送信されなかったため、

こちらからご返信できない状態となっております。

 

お問い合わせの内容は把握しており、

システムの改修も既に完了しておりますので、

大変お手数ですが、下記より再度お問い合わせ頂けますと幸いです。

 

http://un-seen.net/form/

 

この度はご迷惑をおかけし申し訳ございません。

よろしくお願い致します。

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